仮処分申立て却下弾劾 |
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2007年04月02日(Mon)
仮処分申立て却下弾劾
東京地裁による「退学処分・停学処分の無効を求める仮処分申立て却下」弾劾!
中島宏明 (文学部 退学処分) 内海佑一 (文学部 退学処分) 内山佳久 (文学部 退学処分) 久木野和也(法学部 停学処分1年→無期停学処分) 友部博文 (法学部 停学処分半年→退学処分) 3月28日、東京地方裁判所民事第9部の裁判官・春名茂、山本択、高瀬保守は、退学処分と停学処分の無効を求める仮処分申立てを却下した。怒りを込めて徹底弾劾する! 私たちは、今後も退学処分・停学処分の撤回をかけて徹底的に闘うことを宣言する。 東京地裁の反動決定は、法大当局の主張を丸写ししただけでなく、3・14法大弾圧における警察への事前連絡についても、なんら非難に値するものではないと、法大当局でさえも言及していないことを平然と言い放っている。仮処分とは言え、大学をめぐる裁判として、反動的なエスカレーションとして歴史的な決定だ。 今回の反動決定は、戦争と改憲・労組破壊に突き進む安倍政権の国家意志を司法権力をもって示したのであり、私たち学生と国家権力は、完全に非和解であることを示した。裁判所など、中立でも何でもない。労働者や学生にとって、国家権力を根本的に打倒する闘いが求められていることがますます明らかとなった。私たちは、法大当局、警察、裁判所、安倍政権に対する非妥協的闘いに意気軒昂と突入する。 私たちは、仮処分裁判の攻防に勝利した。反動決定イコール敗北ではない。私たちは、仮処分裁判の攻防を法大キャンパスでの闘いと一体で闘い、私たちの闘う団結を強化するだけでなく、闘う団結を法大生や全国の学生や労働者に押し広げて闘いぬいてきた。そして、この仮処分の決定は、私たちや法大生の闘う団結を解体するものには全くならず、むしろ闘う決意を燃え立たせ、闘う団結を強化・拡大させることしか意味しない。 今回の仮処分裁判は、2006年6月21日に申立てをして以来、仮処分では異例の9ヶ月間を超える闘いとなった。極悪裁判官と言えども、3・14法大弾圧や退学処分・停学処分のあまりのデタラメぶりに対して、短期間で反動決定を下すことが出来なかった。仮処分裁判開始直後は、担当裁判官が一人であったが、途中から三人の裁判官による合議で行う体制に移行した。これも、一人の裁判官ではとても判断出来ない事件であり、東京地裁という司法権力による政治判断が求められたからにほかならない。 今回の反動決定は、まさに東京地裁や安倍政権のむき出しの国家意志=政治判断として、私たちの訴えを全面的に却下するという結論ありきの決定なのだ。 第一に、事実認定について、私たちの主張を全く聞き入れず、法大当局が主張したデタラメをそのまま主張していることである。 立て看板・ビラまき規制の歴史的経緯や事実関係、学生が法大当局の規制に対して学生部に対して抗議行動を行ってきた歴史的経緯や事実関係など全く無視し、法大当局が描いたデタラメのストーリーをそのまま認め、それを退学処分や停学処分の是非を争う際の前提としているのだ。デタラメなストーリーに基づいた決定など、全く無効だ。 第二に、退学処分や停学処分について、社会通念上合理性を認めることが出来るなどと言い、それは平林総長の裁量権の範囲内だとぬかしていることである。 許し難いことは、「一連の抗議行動は、大学の学生による大学に対する抗議行動として明らかに不相当なもの」と言っていることだ。大学の主人公は学生だ。大学は、学生なしには成り立たない。平林総長が大学ではない。表現の自由がビラ・立て看板規制によって規制されることに対して、大学を構成する学生として、抗議を行うのは当然だ。しかも、法大で何十年も行われてきた通常の抗議行動が行われたにすぎない。抗議行動すら認めないというのであれば、学生は大学当局に対して、黙って従うだけの奴隷になってしまう。 しかも、抗議行動を行ったことを理由として、退学処分や停学処分となることが、社会通念上合理性があると言っている。大辞泉によれば、「社会通念」とは、「社会一般に通用している常識または見解」とある。「表現の自由」の規制に反対したら退学処分や停学処分を受けることが日本社会の常識らしい。まるで憲法が改悪され表現の自由など全くなくなった社会ではないか。そんな社会通念などぶち壊すしかない。 第三に、ビラ・立て看板規制について、「表現の自由を著しく侵害する不合理な規制であるということはできない」などと言っていることである。 裁判所は、「立て看板やビラの表現内容について規制するものではなく、表現の時、場所及び方法に対する規制であること、その規制態様も、大学の施設管理等の観点から、学生らが立て看板を設置する際に学生部長の承認を要するとしたことや立て看板の設置場所、大きさ等を定めたものである」から、「抗議行動が正当化されるほどの、表現の自由を著しく侵害する不合理な規制であるということはできない」と言っている。 立て看板を出す時、学生部長の許可制にしたこと、設置場所や大きさを規制したことは、内容の規制と一体の「表現の自由」の規制そのものであることは、誰が見ても明らかではないか。学生部長の判断で「出せる」「出せない」が決められるのだ。内容規制以上に悪質とも言える。現在、哲学研究会が立て看板の設置許可を求めたら、昨年3月8日の学生部への申し入れ行動を口実にして、学生部長は設置を許可しなかったのだ。 また、たった2週間しか出すことが出来ず、看板の大きさもベニア2枚以下となる。設置場所も勝手に決められる。法大において数十年間、なんの問題もなく自由に行われてきた立て看板の設置が大幅に規制されるのだ。これを「表現の自由を著しく侵害する不合理な規制」と言わずして何というのか。 立て看板・ビラまき規制が2006年2月という改憲攻撃が本格的に開始される中で出されたことに核心がある。裁判所は、この核心問題について全くふれることが出来ない。 裁判所は、「大学の施設管理等の観点」を持ち出している。だが、大学の施設は学生から高額の学費をふんだくって成り立っているではないか。学生は大学を構成する一員であり、大学の施設がどうあるべきか、という問題についても意見を言い、決定に参加する権利があるのだ。大学施設は、平林総長のものではない。学生や教職員のものなのだ。 今回の決定は、大学でこそ最も尊重されるべき「表現の自由」に対して、規制されることが当然であると裁判所が主張していることが重要だ。戦後の憲法体制や大学のあり方を裁判所が否定したのだ。もはや、大学で立て看板やビラまきが自由に行われたら、それはたちまち学生の改憲決戦への決起が爆発する時代が来ているということ、表現の自由を全面的に圧殺するしか支配出来ない所にまで安倍政権の危機が深まっているということだ。 これは、むきだしの階級的激突以外に決着はない、ということだ。これは、労働者階級と学生にとっては、闘う団結しか依拠するものは何もないということであり、表現の自由は闘いによって勝ち取る以外にないということである。 すでに、このことは06年の法大の闘いによって開始されている。従って、これからますます内乱的激突が激化し、法大生の闘いによって決着するしかないということだ。 第四に、3・14法大弾圧について、開き直った反動的主張を行っていることである。 私たちは、仮処分において3・14法大弾圧のデタラメ性を訴えた。それは、@200人もの大量の警察官が動員されていること、A法大当局の110番通報からたった2分間で、200人の警察官が法大キャンパスに突入したこと、Bフジテレビが逮捕映像を撮影し、夕方のニュースで放映したこと、C3・14弾圧に動員された教職員の事前打ち合わせの場で、出席者から「なぜデモ隊がいない間に立看板を撤去しないのか」という質問があったこと、D学外デモから帰ってきた時、正門は大きく広げられ、門前にいた職員はデモ隊を制止せず、まるでデモ隊をキャンパスに引き入れたようであったこと、E教職員による立て看板の撤去作業は、看板がヒモで縛られていたために撤去できずに中断し、そもそも立て看板の撤去作業の妨害という事実すらなかったこと、などである。 これらの事実を見れば、誰が見ても、警察と法大当局による事前共謀の下で3・14法大弾圧が行われたことが分かるだろう。 だが、裁判所はこれらの事実を見据えることは警察と法大当局による権力犯罪を認める大問題に発展することから、警察と法大当局を擁護する反動的な開き直りを行っている。 一つに、法大当局が警察に事前に連絡したとしても、「債権者らによるそれまでの抗議行動が招いた結果ともいえるのであって、何ら非難に値するものではなく」などと言い、法大当局による警察への事前連絡を認めたことである。しかし、「それまでの抗議行動」は法大で何十年も行われた普通の抗議行動であり、警察に事前連絡するような事態が発生していたわけではない。重大なことは、法大当局が警察に事前連絡することを何ら問題にしていないことだ。ここでも、戦後の「大学の自治」という考え方など、全く否定している。大学に警察権力を導入 することの異常な事態について、何ら問題視していないのだ。 二つに、29人逮捕についても、「警察において債権者らを含む学生によって現実に立て看板等の撤去作業が妨害されていると認定した結果」などと言っている。しかし、そもそも立て看板の撤去作業が行われなかったことから言って、「撤去作業の妨害」などは事実として存在せず、存在しないものは認定しようとも出来ないはずだ。重大なことは、「立て看板の撤去作業の妨害」をデッチ上げて逮捕するというストーリーが法大当局と警察権力の間にあったということだ。さらに重要なことは、200人の警察官を動員して、たかが立て看板の撤去で、29人の学生全員を大学キャンパスで逮捕する異常な事態に対して、裁判所は何も疑問を感じず、当然であるかのような主張をしているのだ。これも、戦後憲法体制など、裁判所の側から真っ向から否定しているに等しい。 三つに、「債務者が、債権者らが学外でデモ行進している間ではなく、大学構内にいる時に上記撤去作業に着手していることなど債権者ら主張の事情を考慮しても、それだけで、債務者と警察との通謀のもとに、学生に対する懲戒処分を行うことを目的として債権者らの逮捕が行われたと認めることはできず、他に、これを認めるに足りる的確な疎明資料はない」などと、警察と法大当局が3・14法大弾圧を行った事を否定していることである。 だが、裁判所は、以下の点について全く答えていないのだ。 @裁判所は、警察が200人もの大量の警察官を動員したことについて答えていない。法大当局が事前に警察に連絡したとしても、警察が学生を逮捕するという判断を下さなければ200人も警察官を動員するであろうか。警察としても、法大当局から「警備」か「逮捕」の要請があったとしても、「安易に警察に頼るな。学内の力で解決しろ」と言うのが常識ではないのか。それとも、警察はよっぽどヒマなのか。 A裁判所は、法大当局から110番通報があって2分後に200人の警察官が法大キャンパスに突入したことについて答えていない。200人の警察官は法大近辺に待機していたのだ。つまり、警察と法大当局による共謀は確実に存在していたのである。 B裁判所は、フジテレビが逮捕映像を撮影し、放映したことについて答えていない。事前に、警察か法大当局から連絡を受けない限り不可能だ。 C裁判所は、「なぜ、学外でデモ行進をやっている間に撤去しなかったのか」という疑問には全く答えていない。学外でデモ行進をやっている間に立て看板を撤去すれば、立て看板の撤去作業の妨害をデッチ上げて逮捕することが出来ないからではないのか。 D裁判所は、デモ隊が帰ってきた時、正門が開いていたという疑問に答えていない。「入構禁止」と言うのであれば正門を閉じておけば良いのだ。だが、実際は、「さあ、入って下さい」といわんばかりに正門は大きく開き、正門前の職員も制止しようとしなかった。 裁判所は、警察と法大当局の共謀の証拠がこれだけあるにもかかわらず、全く回答していない。いや、出来ないのだ。 裁判所は、3・14法大弾圧に触れざるを得なかったが、警察と法大当局が共謀し、逮捕を目的とした権力犯罪が暴かれるから、反動的に居直ったのだ。 だが、私たちは3・14法大弾圧を絶対に曖昧にしない。前代未聞の権力犯罪を徹底断罪し、労働者階級や学生の前に全面的に明らかにし、責任を徹底的に追及して闘う決意だ。 私たちは、今回の仮処分決定を絶対に認めない。闘いはこれからだ。3・14法大弾圧の徹底的な追及、退学処分・停学処分の撤回に向けて闘いぬく決意だ。何よりも、法大生の全面的な決起をかちとり、平林独裁体制を法大生の力で打倒する決意だ。 その闘いの一環として、裁判闘争を闘う決意である。3・14法大弾圧の全面的な真相究明を法廷の場でも明らかにさせる。3・14法大弾圧や退学処分・停学処分の決定を下した法大総長・平林千牧、3・14法大弾圧の現場責任者である学生部長・安東祐希、3・14弾圧を強行した警察などを法廷の場に引きずり出し、徹底的な裁きを下す決意だ。 最後に、これまで、仮処分裁判闘争への支援カンパなどを行って下さった労働者や学生のみなさんに、改めてお礼を申し上げます。私たちは、心から感謝しています。 全国の労働者や学生のみなさん! 私たちは、今後も退学処分・停学処分の撤回に向けて闘く決意です。闘いへの連帯と支援、裁判闘争への支援をよろしくお願いします。 |
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郵便振替口座 00130-3-336115 「新井君・友部君の裁判闘争を支える会」 郵便振替口座 00130-0-575089 「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」 ▼メール hosei_five(at)yahoo.co.jp
カレンダ
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